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徳島地方裁判所 昭和61年(行ウ)5号 判決

主文

被告が原告に対し昭和六一年四月一日付けでした別紙物件目録記載の土地に対する固定資産税及びこれに付帯する都市計画税の賦課決定処分を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一  当事者の求める裁判

一  請求の趣旨

主文と同旨。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  被告は原告に対し、昭和六一年四月一日付けで別紙物件目録記載の土地(以下「本件土地」という。)に対する固定資産税及びこれに付帯する都市計画税(税額の合計六万四三六〇円)の賦課決定処分(以下「本件賦課決定処分」という。)をした。

2  しかしながら、本件土地は土地課税台帳上原告の所有である旨の記載がされてはいるが、次のとおり、実際には存在しない土地であるか、または鮎喰川の堤防敷に含まれ、地方税法第三四八条第二項第五号若しくは第六号に該当し、課税対象とはならないものである。

(一) 本件土地はもと原告の祖父谷崎半次郎が所有していたものであり、昭和一一年四月二三日家督相続により原告の父谷崎源一にその所有権が移転し、更に昭和三五年三月九日同人の死亡により原告がこれを相続したものである。しかしながら、原告には、本件土地がどこに存在するのか全く分からず、被告に対して、課税をする以上はその所在を明らかにすべきであるとして、何度も申入れをしたが、被告は、本件土地は鮎喰川堤防上にあり、徳島県が民間人に占用許可を与えているところであると説明するのみで、具体的にその所在位置を明らかにすることはできなかった。そうだとすると、原告にとっては、本件土地は登記簿上に存在するだけのものであって、永年にわたってその所在すら確定できず、所有権の行使は全く不可能な状態にあるのであるから、本件土地については原告の所有の実体はないというほかはない。このような場合、地方税法第三四三条を形式的に解釈して、原告に納税義務だけが存在するというのは全く不合理な考え方であり、納得することができない。

(二) 土地の現況からすると、本件土地の所在地番に該当する付近には、かっては鮎喰川沿いに位置し、大正六年の堤防敷拡幅工事の際堤防敷に組み込まれてその東側法面を形成し、第二次大戦前は桑畑として利用され、戦後もしばらくは右のような状態にあったが、その後第三者が家を建てて住むようになり、当初は不法占拠であったのに、後に堤防敷の管理者である徳島県がこれに占用許可を与え、現在は秋山某が占有している土地があり、これが本件土地であるようにも考えられないではないが、そうだとすれば、本件土地は非課税となることは明らかである。

(三) 原告は、本件土地と同様、被告が原告に対し昭和六一年四月一日付けで固定資産税及び都市計画税賦課決定処分をした徳島市鮎喰町二丁目八一番の宅地(登記簿上の地積 七二・九五平方メートル、以下(「八一番の土地」という。)について本件土地とともに、これらの土地は土地課税台帳上にのみ存在するにすぎないものであるとして被告に対し異議申立てをしたところ、被告は同年六月一〇日、八一番の土地は道路敷の一部と思料されるとして右賦課決定処分を取り消したが、本件土地については異議申立てを棄却した。

よって原告は被告に対し本件賦課決定処分の取消しを求める。

二  請求原因に対する認否及び被告の主張

1  請求原因第1項の事実は認める。

2  同第2項の事実中、本件土地及び八一番の土地が土地課税台帳上原告の所有である旨の記載がされていること、被告が同年六月一〇日、八一番の土地に対する固定資産税及び都市計画税の賦課決定処分を取り消し、本件土地については異議申立てを棄却したことは認める。被告が原告に対し、本件土地は鮎喰川堤防上にあり、徳島県が民間人に占用許可を与えているところであると説明したことは否認する。

本件土地は鮎喰川の堤防敷には含まれておらず、非課税扱いの対象とはならない。

固定資産税は、土地、家屋及び償却資産の資産価値に着目して課せられる物税であって、これを現実に使用収益している者に課せられる収益税ではない。その負担者は、当該固定資産の所有者であることを原則とするが、地方税法は、徴税技術上の配慮から、土地については土地登記簿又は土地補充課税台帳に、家屋については建物登記簿又は家屋補充課税台帳に登記又は登録されている者を所有者と認め、その者に課税するという、いわゆる台帳課税主義ないしは表見主義を採用しており(地方税法第三四三条)、都市計画税についても同様である(同法第七〇二条)。

そして、課税の対象である土地が周囲の土地の所有者等によって侵奪され、土地の所在が不明確となったり、或いは他の占有者によって時効取得されたりした結果、本来の土地所有者(登記簿上の所有者)が所有権を行使できる余地が全くなくなったとしても、その土地が滅失した(例えば、崖地が崩壊して海中に没したような場合)と考えられない限り、右登記簿上の所有者は固定資産税及び都市計画税の納税義務を免れない。

本件土地は、もと一筆の土地の一部を内務省及び徳島県が堤防敷及び道路敷として買収した残地である。すなわち、原告の祖父である谷崎半次郎は、その所有する徳島県名東郡東名東村字袋井外一一五四番 山林四畝一〇歩から、大正四年八月四日に一一五四番二 山林六歩を分筆して、これを大正六年一一月一日内務省に売り渡し、右分筆後の一一五四番一山林四畝四歩から、大正六年四月一〇日に一一五四番三 山林一四歩を分筆して、これを同年五月二六日徳島県に売り渡した。更に昭和四年八月二二日には右分筆後の一一五四番一 山林三畝二〇歩から一一五四番四 山林一畝一七歩を分筆した。この土地は後に半次郎の子である谷崎源一の所有となり、現在は漆原政一の所有となっている。この間、本件土地付近の地名は、明治二二年に町村制が施行されたことに伴い、東名東村と他の四か村とが合併して加茂名村となり、その後大正四年一一月一〇日加茂名村が加茂名町となり、昭和一二年四月一日加茂名町は徳島市に合併された。その際町名地番が変更され、本件土地付近の町名は同市鮎喰町二丁目となり、地番は一一五四番一が八二番四に、一一五四番三が八二番五に、一一五四番四が八二番三になり、一一五四番二は国有地のため無番地となった。原告は右八二番四の土地を相続により取得したのであり、これが本件土地である。

ところで、谷崎半次郎は、右三回目の分筆後の残地である一一五四番一 山林二畝三歩を無届けで開墾し畑とした。これが当局に発覚し、昭和九年一二月一五日には地目が畑に変更され、地租の課税標準である土地賃貸価格も四倍に引き上げられた。その後、本件土地の地目は畑のままとなっており、同人は地目変更及び土地賃貸価格の修正に異議がなかったものと推定される。そうだとすると、本件土地は堤防敷の法尻に接する平坦地の部分であると考えられる。

右の次第で本件土地は当初の面積の二分の一となって存在しており、これが滅失したとの事実はない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因第1項の事実(被告が原告に対し本件賦課決定処分をしたこと)は当事者間に争いがない。

二  そして、本件土地及び八一番の土地が土地課税台帳上原告の所有である旨の記載がされていることは当事者間に争いがなく、〈証拠〉によれば、次の各事実が認められる。

1  徳島市内を流れる鮎喰川の右岸に位置する同市鮎喰町二丁目付近の土地の所在はもと徳島県名東郡東名東村字袋井外と称したが、明治二二年に町村制が施行された際、東名東村と他の四か村とが合併して同郡加茂名村となり、その後大正四年一一月一〇日に加茂名村は加茂名町となり、昭和一二年四月一日、加茂名町が徳島市に合併されたため、町名地番が変更され、最終的に右東名東村字袋井外所在の土地は同市鮎喰町二丁目所在となった。

原告の祖父谷崎半次郎は、徳島県名東郡東名東村字袋井外一一五二番一、一一五四番などの地番の土地を所有していたが、一一五二番の一の土地から、大正四年八月四日に同番三の土地を、大正六年四月一〇日に同番七の土地を、大正八年七月二三日に同番一〇の土地を、また一一五四番の土地(四畝一〇歩)から大正四年八月四日に同番二の土地(六歩)を、右分筆後の同番一の土地(四畝四歩)から、大正六年四月一〇日に同番三の土地(一四歩)を、昭和四年八月二二日に同番四の土地(一畝一七歩)をそれぞれ分筆した。このうち一一五四番四の土地(後記町名変更により八二番三の土地となる。)については、子の谷崎源一が昭和一一年四月一八日家督相続によりその所有権を取得し、現在では漆原政一の所有するところとなっている。一一五四番一の土地(二畝三歩。同じく八二番四の土地となる。)については同じく源一の家督相続を経て、原告が昭和三四年一一月二九日相続によりその所有権を取得した。一一五二番一の土地(同じく八一番の土地となる。)については、昭和一一年ころ完成した国道一九二号線の道路用地として国が買収したのに、半次郎の所有名義となっていたため、原告は事情を調べないままに相続による所有権取得の登記を経由した。

2  大正年間から昭和初年にかけて、鮎喰川沿いの堤防の補強、堤天(堤防上部の平坦な部分)に設けられた道路幅員の拡張等の工事のために、内務省、徳島県、加茂名町により右岸の堤防敷に接する土地が次のとおり買収された。

内務省は、大正六年一一月一日付けで、東名東村字袋井外一一五〇番二の土地(一六歩。以下関係の土地の所在はすべて同一であるので、これらの土地は地番のみをもって表示する。)、一一五一番三の土地(一四歩)、同番四の土地(一〇歩)、一一五二番三の土地(二坪七合。もと谷崎半次郎の所有)、同番四の土地(三坪。同)、同番五の土地(一坪。同)、一一五四番二の土地(六坪。同)、一一二三番三の土地(二坪)を、次いで昭和一二年四月二三日付けで一一五二番一四の土地(五坪。もと谷崎源一の所有)をそれぞれ買収した。徳島県は、大正五年七月一日付けで、一一五〇番三の土地(二八坪。前記町名変更により鮎喰町二丁目七三番三となった。以下かっこ内の地番は町名変更後のものを指す。)、一一五一番五の土地(三坪。七四番三)、同番六の土地(五坪。七五番三)を、次いで大正六年一月一八日付けで一一五二番六の土地(二坪。七六番三。もと谷崎半次郎の所有)を、更に同年五月一八日付けで、一一五二番七の土地(四畝二三歩。八一番六。もと谷崎半次郎の所有)、一一五二番八の土地(二坪。八一番五。同)、一一五四番三の土地(一四坪。八二番五。同)、一一二三番四の土地(一〇坪。一一九番二)をそれぞれ買収した。加茂名町は、大正八年八月二五日付けで、一一五〇番四の土地(一二坪。七三番二)、一一五一番七の土地(四坪。七五番二)、一一五一番八の土地(九坪。七四番二)、一一五二番九の土地(一坪。八一番四。もと谷崎半次郎の所有)、同番一〇の土地(一坪。同番三。同)、同番一一の土地(二坪。七六番二。同)をそれぞれ買収した。

そして、内務省が買収した土地はいずれも無番地となり、徳島県及び加茂名町が買収した土地の登記簿上の地目の記載は、一一五二番七(八一番六)、一一五二番八(八一番五)、一一五四番三(八二番五)、一一二三番四(一一九番二)の各土地がいずれも「道路成」(後に「公衆用道路」となる。)、一一五〇番三(七三番三)、一一五一番五(七四番三)、一一五一番六(七五番三)、一一五二番六(七六番三)の各土地がいずれも「堤塘」、一一五〇番四(七三番二)、一一五一番八(七四番二)、一一五一番七(七五番二)、一一五二番一一(七六番二)、一一五二番一〇(八一番三)、一一五二番九(八一番四)の各土地がいずれも「堤防敷地」となっている。

町名変更後の右買収にかかる各土地及びその周辺の土地相互の位置関係は別紙公図(写)のとおりである(右公図(写)において、七三番三、七四番三、七五番三、八一番三、八二番五などの土地の西(川)側に表示された短冊状の空白は右内務省買収の土地の一部である。)。前記のとおり、本件土地は一一五四番の土地から同番二、同番三(八二番五)、同番四(八二番三)の各土地が分筆された後の土地であるところ、右公図(写)による土地相互の位置関係を右四筆の土地についてみると、本件土地と一一五四番四(八二番三)の土地とは南側に前者、北側に後者の位置関係で、そして、一一五四番三(八二番五)の土地は右両土地の西側、両土地は東側の位置関係で、それぞれ隣接している。そして、内務省によって買収された一一五四番二の土地は公図上同番三(八二番五)の土地に接して短冊状の空白として表示されている。

3  本件土地の南方、別紙公図(写)に表示されたところによると、七六番一、同番二、同番五などの土地が所在する付近には東方の徳島市の中心部を経て鮎喰川の堤防(その上の道路)と交り、川を越えて西方へ向う国道一九二号線が通じており、これよりも南側においては鮎喰川の堤防はその堤天(道路となっている。)、法面及び法尻は明確にその東側の民有地と区分できる状態にあり、堤防敷と民有地との間の境界については法尻を中心としていわゆる官民の協議も成立している。ところが、右国道一九二号線よりも北側においては、第二次大戦後の混乱期に何人かの者が行政当局の許可をえることもなしに堤防法面の部分上に建物を建てて住みついてしまい、これらの者はその後占拠している堤防法面の部分について徳島県による専用許可を受けたが、建物は当初は簡易なもの(バラック)であったものが次第に本格的なものに建て替えられ、今日では堤天に設けられた道路に面して何棟もの建物が立ち並んでおり、堤防の法面は原形をとどめず、現地で法尻を見出すことは不可能である。とくに前記八二番五の土地と、本件土地及び八二番三の土地とが境を接するとみられる付近においては、堤防の東側の土地の地面から堤天の高さに達するまでの、かなりの高さのコンクリート壁が設けられ、これによって補強された堤天とコンクリート壁の間の土地上には店舗兼居宅とみられる建物が存在しており、八二番五の土地と本件土地との境界点を示すとみられるものは見当らない。

以上の事実が認められ、この認定を覆すに足りる証拠はない。

右事実によれば、内務省によって買収された一一五四番二(買収後は無番地)の土地及び徳島県によって買収された同番三(八二番五)の土地はいずれも買収後鮎喰川沿いの堤防の補強、堤天上の道路幅員の拡張等の工事のために買収されたのであるから、工事完成後は、右各土地は堤防敷の一部を構成することになったものと推認することができる。ところで、原告は、その本人尋問において、道路幅員拡張のため買収された土地は堤防のうち、堤天の、道路となる部分のみであって、法面となる部分は買収されなかった、と供述するが、堤防の補強、堤天上の道路幅員の拡張等の工事のため用地を買収するというのに、堤天の、道路となる部分のみを買収して、堤防の法面となる部分を買収しないというのはそれ自体不自然であり、右供述によってもそうしたことの事情が明らかでないこと、右認定のとおり、国道一九二号線の南側においては、法尻を中心として堤防敷とその東側の民有地との間の境界についていわゆる官民の協議が成立していることに照らすと、原告の右供述はたやすく信用できない。してみると、右認定のような一一五四番二の土地、同番三(八二番五)の土地及び本件土地の位置関係からすると、右一一五四番三(八二番五)の土地とその東側に隣接する本件土地との境界は堤防の法尻に当るところにあるとみることができるところ、国道一九二号線の北側においては、堤防の法面は占拠者によって大幅な変更が加えられ、原形をとどめない状態になっていること、とくに右一一五四番三(八二番五)の土地と本件土地とが境を接するとみられる付近においては、およそ堤防の東側の土地の地面から堤天の高さに達するまで、かなりの高さのコンクリート壁が設けられ、これによって補強された堤天とコンクリート壁の間の土地上には店舗兼居宅とみられる建物が存在していることは右認定のとおりである。そして、〈証拠〉によれば、右コンクリート壁は堤防の法尻よりも一メートルほど東側、すなわち、本件土地上に食い込んで設けられた、というのであり、これを覆して右コンクリート壁が法尻上か、それよりも西側に設けられた、とする証拠はない。してみると、右コンクリート壁と堤天との間の土地は現実的に鮎喰川の堤防の構成部分となっており、本件土地の、少なくともその一部がこれに含まれている可能性を否定することはできない。

三  そこで、右認定を踏まえて、本件賦課決定処分の適否について検討する。

1  市町村長は、固定資産の状況及び固定資産税の課税標準である固定資産の価格を明らかにするため、固定資産課税台帳を備えなくてはならず(地方税法第三八〇条第一項)、これには、登記簿に登記された土地(本件土地はこれに該当する。)については、不動産登記法第七八条により登記すべき事項、土地の所有者、当該土地の基準年度の価格又は比準価格等を登録すべきことになっており(同法第三八一条第一項)、右土地価格(適正な時価をいう。同法第三四一条第五号)は、固定資産評価基準(同法第三八八条第一項に基づいて自治大臣が定めたもの)に基づいて市町村長が決定する(第四〇三条第一項)。

右固定資産評価基準によれば、登記簿に登記された土地について地積の認定をする場合には原則として登記簿の記載によることとし、これを固定資産課税台帳に登録すべきこととなっている(第一章第一節二)。しかしながら、これは、登記簿上の記載には元来これに登録された土地についての権利変動が如実に反映されるべきであることから、その地積も右権利変動にかかわった者により正確に登載されるであろうとの前提に基づき便宜的に定められたものであり、現実がこれと異なれば、地積の登録は実態に即した地積に基づいて行われるべきことは当然である。

2  地方税法第三四八条は固定資産税の非課税の範囲を定めており、その第一項は国、都道府県、市町村が有する固定資産に対しては固定資産税を課することができないことと規定し、第二項は公共の用に供する道路、堤とう(防水のために河岸などに築かれた堤防)などを非課税物件としている。このように、右各物件が非課税とされたのは、これらの物件は収益の可能性が極端に小さく、かつ固定資産税を賦課することが課税の趣旨に合致しないとするところにあるものと考えられる。したがって、土地の全部又は一部が他人に侵奪されたような場合にはこれにより当該土地の全部又は一部が非課税になることはありえないが、土地の全部又は一部が公共の用に供されることにより非課税となるには、これが現実的に公共の用に供されていれば足り、必ずしも使用権が設定されている場合には限らないと解するのが相当である。そして、固定資産課税台帳は課税の便宜のために設けられたものであるから、これには非課税物件を登録する必要がないのは当然であり、もし土地の一部が非課税物件としての性格を有するのであれば、当該土地については、固定資産台帳にはこれを除いた部分の地積が登録されるべきである。

3  弁論の全趣旨によれば、本件土地については登記簿記載の地積が固定資産課税台帳にそのまま登録され、被告は本件土地の全部が宅地であるとの前提に立って固定資産税及び都市計画税を賦課したことが認められる。

そうだとすると、本件土地は、その一部が堤とう(道路)敷となっている可能性があるにもかかわらず、被告はその事実がないものとして、課税対象となる土地の範囲を明確にしないまま本件賦課決定処分をしたことになるのである。すなわち、本件においては、被告は、課税庁として、非課税となる八二番五の土地の範囲、とくにその東側に位置する本件土地との境界を明らかにすることによって本件土地が現実的に堤防敷にはなっていないこと、すなわち本件土地が課税対象物件であることを立証すべきであると解されるところ、これを明らかにするに足りる証拠はない。

4  以上のことは都市計画税についてもいえることである。というのは、都市計画税は、都市計画法により都市計画区域として指定された区域のうち市街化区域内にある土地及び家屋を課税客体とし、当該土地及び家屋の所有者を納税義務者、市町村を課税団体として賦課される租税であり、その課税標準、非課税の対象となる人的物的範囲はすべて固定資産税の場合にならうこととなっている(地方税法第七〇二条、第七〇二条の二)からである。

5  ところで、地方税法第四三四条第二項、第一項は、固定資産評価審査委員会に対し不服を申し立てることができる事項については、これについての同委員会の決定に対してのみその取消しの訴えを提起することができる旨を定め、同法第四三二条第一項、第三八一条第一項は、固定資産課税台帳に登録された事項については、土地登記簿に登記された事項を除き、固定資産評価審査委員会に対し不服申立てをすることができると定めているが、前記のとおり、地積の認定について、登記簿に登記された土地については、登記簿上の地積を実際の地積と認定することが許されるのは便宜的な措置であるから、土地の一部に非課税とすべき部分が含まれている場合にこれを看過して全部の地積を課税対象土地の地積として登録したときは、登録事項に関する誤りとして固定資産評価審査委員会に対して不服申立てをすべきであり、市町村長に対し直接に課税処分の取消しを求めることは許されないと解する余地もないではない。しかしながら、前記のとおり、非課税物件については、元来、固定資産台帳を作成しないことになっているのであり、土地の全部又は一部が非課税物件かどうかは単なる価格評価の問題とはいえないから、これを課税処分に対する不服の理由とすることができると解するのが相当である。

以上の次第であって、被告が原告に対してした本件賦課決定処分は違法であるというほかはなく、取消しを免れない。

四  よって、原告の本訴請求は理由があるから、正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法第七条、民事訴訟法第八九条を適用して主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 大塚一郎 裁判官 曽我大三郎、栂村明剛は転任のため署名押印できない。裁判長裁判官 大塚一郎)

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